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【資料から迫るサッセッタの戦い】

【資料から迫るサッセッタの戦い】
本ページでは、1944年6月26日から27日にかけて、イタリア・トスカーナ地方リヴォルノ県サッセッタ郊外において、ドイツ陸軍とアメリカ陸軍の間で行われた戦闘の実相を、一次資料に基づいて解説します。

解説にあたっては、ドイツ陸軍およびアメリカ陸軍の一次、二次資料を基準としていますが、誤訳や解釈の誤りが含まれる可能性があります。また、戦時資料という性質上、独米双方の記録に齟齬がみられる場合があります。あらかじめご了承ください。

【目次】

1 サッセッタの戦いの概要

2 1944年6月時点での両軍の編成

3 戦闘開始前 6月25日の状況

4 6月26日の戦闘経過

5 6月27日の戦闘経過

6 その後​

【サッセッタの戦いの概要】

​サッセッタ(伊:Sassetta、以下サッセッタと記述)の戦いは1944年6月26日から27日にかけてイタリアのトスカーナ地方、リヴォルノ県サッセッタ村一帯において行われた戦いでありローマ解放後迅速な北上によってアルペン山脈以北への侵攻の足掛かりの獲得を企図する連合軍と山岳地形を活用した遅滞戦闘における時間の獲得によって部隊の再編、45年以降の戦略的状況の回復を企図する枢軸側との間に生起したリヴォルノ県における戦闘の一つです。

サッセッタの位置

マップ.png

​サッセッタはトスカーナ州リヴォルノ県にあるイタリアのコムーネ(伊:Comune)、基礎自治体です。イタリアの自治体は日本における市町村のような規模による区別は存在せず、ローマのような大都市を含めコムーネに分類されます。1936年時点での人口は1320人であり、日本の地方自治法では村に分類される小規模な自治体です。
出典:1861年から1991年までの国勢調査

Sassetta_(LI).jpg

​現在のサッセッタの街並み

sassetta.png

40年代(細部時期不明)のサッセッタ

​サッセッタは1944年1月14日からドイツ軍の占領下に置かれました。村にはユダヤ人孤児院が存在し、ドイツに送還される予定でしたが空襲と戦況の悪化に伴い予定は延期され、6月27日のサッセッタ陥落に伴い解放されています。

​1944年6月時点での両軍の編成

ドイツ軍

C軍集団 編成表

ドイツ編成図.png
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第14軍の編成表
(AOK14Ia資料より引用)

1944年6月20日時点において、イタリアはケッセルリンク元帥が指揮する Heeresgruppe C C軍集団が担当し、それぞれ東部を担当する10.Armee 第10軍と西部を担当する14.Armee 第14軍の2コ軍から編成されていました。

第14軍は

第75軍団 LXXV. Armeekorps

     ・第16SS装甲擲弾兵師団"ライヒスフューラーSS”

     ・第19空軍野戦師団(第45猟兵連隊を除く)

第14装甲軍団 XIV. Panzerkorps

     ・第162(トルキスタン)師団(第45猟兵連隊を配属)

     ・第3装甲擲弾兵師団

     ・第20空軍野戦師団

     ・第90装甲擲弾兵師団

第1降下軍団  I. Fallschirm-Korps 

     ・第29装甲擲弾兵師団

     ・第26装甲師団

     ・第4降下猟兵師団

     ・第356歩兵師団

編成・補充中の部隊

・教導旅団

・第65歩兵師団

・第362歩兵師団(新設)

​​以上3コ軍団+3コ歩兵師団から編成されていました。

連合軍の編成

連合編成表.png

1944年6月時点において、イタリアはアレクサンダー元帥が指揮する Allied Armies in Italy イタリア連合軍が担当し、それぞれ東部を担当する英第8軍と西部を担当する米第5軍の2コ軍から編成されていました。

​​

第5軍は

米第6軍団 VI.Corps

     ・米第34歩兵師団

     ・米第36歩兵師団

     ・米第45歩兵師団

英第10軍団 X.Corps

​​の2コ軍団を基幹として編成されていました。

この時期の第34歩兵師団には、第442連隊戦闘団(ただし第1大隊欠)、第100歩兵大隊(当初独立、じ後442連隊戦闘団第1大隊として編入)、第361連隊戦闘団(ただし第361歩兵連隊欠)、第117偵察中隊、第804戦車駆逐大隊が配属されており第5軍の公刊戦史には”made it virtually a small corps in itself” その実態はほとんど小規模な軍団そのものとなったとの記載がされています。

​出典:Fifth Army history.

サッセッタの戦いに至るタイムライン

1943年 7月10日   連合軍 ハスキー作戦開始 シチリア島へ上陸

        25日   ムッソリーニ解任 グランサッソに幽閉

      9月 3日       ベイタウン作戦開始 レッジョ・ディ・カラブリアへ上陸

         8日   イタリア降伏

         9日   連合軍 アヴァランチ作戦開始 サレルノへ上陸

      同   日       スラップスティック作戦開始 タラントへ上陸

        12日   ドイツ軍 Unternehmen Eiche(オーク作戦)開始 グランサッソのムッソリーニを救出

        19日   第100歩兵大隊 米第34師団へ配属

        22日   第100歩兵大隊 サレルノへ上陸

        23日   イタリア社会共和国(RSI)建国

1944年 1月17日   モンテカッシーノの戦いの開始

      5月18日   モンテカッシーノ 陥落

      6月 3日   第19空軍突撃師団 イタリアへの移動命令

      6月 4日   ローマ陥落

         6日   連合軍 ノルマンディーへ上陸

        11日   第100歩兵大隊はチヴィタヴェッキアにおいて第442連隊戦闘団に第1大隊として編入

        17日   連合軍 エルバ島へ上陸

        24日   ベルベデーレにおいて戦闘

        26日   サッセッタ一帯において戦闘

​        27日   サッセッタ陥落

                        7月19日   リヴォルノ陥落

        23日   ピサ陥落

      

【戦闘開始前 6月25日の状況】

6月25日.PNG

​6月25日朝時点での前線

​出典:Order of battle maps: operations in Italy, volume III.
​   Current Group, Operations Division, W.D.G.S.

​25日時点でのドイツ軍の防御配置

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25日の配置図.png

6月25日0600時点において、ドイツ軍はサッセッタ南方一帯のイルゼ阻止線(Ilse-Riegel)で陣地防御を行っていました。

これに先立つ6月23日から24日にかけて、ドイツ軍はイルゼ阻止線のさらに南方に設定されたアーデレ阻止線(Adele-Riegel)で陣地防御を行っていました。しかし、陣地線右翼の守備部隊であった第1059歩兵連隊第IV大隊(東方部隊)が潰走し、緊要地形を敵に奪取されたため、態勢を立て直すべく後退し、新たな陣地線を占領する必要が生じました。

イルゼ線における部隊配置は、西から第19空軍野戦師団第37猟兵連隊第I大隊、同第II大隊、そして第16SS装甲擲弾兵師団第35連隊第II大隊でした。第35SS装甲擲弾兵連隊は、当初イルゼ線東側への配置が予定されていた第1059歩兵連隊第IV大隊が潰走したため、その代替として配置されたものです。各部隊は、主力を0630までに、残余を0700までにそれぞれ新たな主抵抗線へ進出させ、配置を完了しました。

​第75軍団陣中日誌より抜粋

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19:40軍団司令部は第19空軍野戦師団長に対し「イルゼ線」への後退を命令。強力な後衛部隊を残置。特にフォッローニカ北西およびピオンビーノ周辺の地域で敵を拘束すること。敵がスヴェレート方面へ突破することは絶対に阻止。第19空軍野戦師団司令部をサッセッタへ移動。第16SS装甲擲弾兵師団の部隊、第16SS装甲捜索大隊および第16SS突撃砲大隊(従来第162トルキスタン歩兵師団配属)は師団への帰還行進中。

イルゼ線占領に関する第75軍団行動命令

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電報
発信:1944年6月24日
至急

宛先:
第19空軍野戦師団
ならびに 第16SS装甲擲弾兵師団

軍団命令: “Ilse-Riegel” の防御について
 

1)師団は 1944年6月24日夜から25日にかけて、「Ilse-Riegel」へ後退し、同陣地を防御すること。
夜間警戒のための戦闘力を有する部隊――少なくとも小隊規模――を、98-04、21および32 に残置すること(うち後者は2個小隊)。任務:対戦車阻止部隊により支援されつつ敵前進を阻止し、98-21,19 および 98-32,23 に沿う道路、ならびにその南方への敵の進出を防ぐこと。夜間部隊は、敵に圧迫されてから初めて順次陣地へ後退すること。

2)「Ilse-Riegel」における配置

西部地区:I./37
中央地区:II./37
東部地区:I./38

さらに 35SS装甲擲弾兵連隊Ⅱ大隊の1個中隊 を一時的に隷下に置き、〔北方から来る敵に対する〕Luizio北方の主陣地の占領・確保のために運用すること。
重点は最終的に I./38 に置く。I./38 の第1中隊は到着後ただちに自大隊へ復帰させること。
〔右欄注記〕重点は 162.(トルキスタン)師団 との接続、Luizio 東方(98-25から東南東9km)。

3)砲兵は、全火力をもって**Höhenrücken〔高地線〕**および 98-18 の地域、ならびにその南方・南東方に強力な火力集中を行えるよう陣地配備すること。
4)対戦車防御
対戦車防御は、敵装甲突破が 98-06, 17, 23, 30 方向へ生起しないよう使用すること。
5)「Ilse-Riegel」へ通じる道路は徹底的に破壊すること。
6)夜間確保のため、十分な戦闘部隊を501高地、一部、Luizio に配置すること。
7)90-04 に位置する海岸砲台は、可能な限り長く海側を射撃し、さらに師団の命令によって(前提として第二次夜間援助〔Nachthilfe〕**の時点)破壊すること。
8)師団司令部所在地:98-25 付近。
9)後退行動の経過は、23:00、02:00、および明朝早くに軍団司令部へ報告すること。

​25日のアメリカ軍の行動

6月25日、米第34師団は、それまで西部海岸沿いで攻撃を担任していた米第36師団と部隊交代を行いました。これは、米第36師団がサレルノ上陸以来休養を取っていなかったこと、また、その後の南フランス上陸作戦であるドラグーン作戦への投入が予定されていたためです。

第36師団は25日にピオンビーノ港を陥落させ、左翼では戦線を最大9マイル前進させました。第142歩兵連隊と第517落下傘歩兵連隊は、海岸近くの平坦地を急速に掃討しつつ前進し、第517落下傘歩兵連隊は半島の付け根を横断してピオンビーノ地区を孤立させ、これを陥落させました。

第34師団の右翼では、スヴェレートから国道1号線に至る道路を遮断し、日没までに部隊は村の近くまで前進しました。中央では、スヴェレートと海岸道路の中間に位置するカンピーリアの町がほぼ包囲され、国道1号線沿いではヴェントゥーリーナ村およびピオンビーノ道路分岐付近の飛行場が占領されました。

第36師団との交代準備は数日前から進められており、ドイツ軍の抵抗は依然として流動的で、しかも完全に防御的であったため、第34師団への担当地区移管は比較的容易に行われました。当初、指揮権の移譲は6月26日1200に予定されていましたが、夜間のうちに部隊交代がきわめて円滑に進んだため、実際の移管は0700に行われました。交代を終えた第36師団は部隊を集結させ、6月27日にローマ地区への移動を開始し、そこからさらに南下して第7軍に合流しました。

米軍ノ行動.PNG

​6月20日から7月3日にかけての第5軍の行動

​出典:Fifth Army history.

25日の442連隊の行動

第442歩兵連隊は第517落下傘歩兵連隊と交代し、集結地を占領しました。

その後、6月26日以降に予定されていたスヴェレートおよびベルヴェデーレに対する攻撃準備を進めました。

25日の442連隊の集結地

​同地域の航空写真

地図:Googleマップ

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第517落下傘歩兵連隊の行動

​出典:517th Parachute Regimental Combat Team

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​6月25日の442連隊戦闘団日報

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25日の戦闘経過

25日の状況図.png

25日の状況図 注:〇はドイツ軍が付与した地点番号

25日 1230
第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊が攻撃を受け、1500までに当初の陣地線から小川の線まで後退しました。

これは前述の第517落下傘歩兵連隊による攻撃であった可能性が高く、この時点で同大隊は大きな損害を受けたとみられます。

同日1845頃、戦車、兵員輸送車などから成る車両縦隊(約300両規模)が沿岸道路上で確認されました。この時点でドイツ軍は、左翼における歩兵の浸透突破と、右翼における国道沿いの機甲戦力による突破を警戒していました。

ドイツ側の対抗処置
配属されていた2両のティーガー戦車を右翼へ向かわせるとともに、第19空軍野戦師団フュージリアー大隊に配置されていた全対戦車火器を第37猟兵連隊第I大隊に配属しました。さらに、第16SS装甲偵察大隊をサン・ヴィンチェンツォ南方地域へ前進させ、軍団予備として保持しました。

25日 2030
米軍は戦車と歩兵を伴って攻撃を実施し、一部の陣地線を突破しました。その結果、第37空軍猟兵連隊第I大隊正面では、夜間のうちにカンピーリアが占領されました。

25日 2400
第19空軍野戦師団司令部は、軍団司令官に対して以下の案を上申しました。

1)第162(トルキスタン)歩兵師団との連絡は成立しておらず、約6kmの間隙が存在すると推定される。
2)軍団司令部は、現有兵力では主戦線回復のための反撃は不十分であると判断する。
3)109高地―モンテ・カルヴィ―ベルヴェデーレ―128高地線に新たな抵抗線を構築することを提案する。
4)この線は、第19フュージリアー大隊、第38空軍猟兵連隊第I大隊、第16SS装甲偵察大隊の一部をもって編成し、前線部隊をこの線まで後退させる。

25日 2410
軍団司令官は、この意図をC軍集団司令官に報告し、決定を要請しました。

司令官決定
主戦線を上記の意図に基づいて後退させることは認められない。
第38空軍猟兵連隊第I大隊をもって第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊を交代させ、第162(トルキスタン)歩兵師団との間隙を閉鎖する。
第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊は、第38空軍猟兵連隊第I大隊の後方に機動予備として配置する。
第16SS装甲偵察大隊はサン・ヴィンチェンツォに残置し、その投入は陸軍命令による場合に限る。

【6月26日の戦闘経過】

26日アメリカ.png

​凡例 青:ドイツ側の記録 :米軍側記録

0400
第442歩兵連隊は集結地から前進を開始しました。兵力部署は、2個歩兵大隊(第2大隊、第3大隊)を並列に、第1個歩兵大隊(第100大隊)を予備とするものでした。当初の目標はベルヴェデーレ、連隊の攻撃目標はサッセッタでした。

0630
第2大隊が攻撃開始線を通過

0830
第2大隊が敵と接触

0900
第3大隊が第2大隊の左側から攻撃し、スヴェレートを通過してさらに前進しました。

両大隊は、スヴェレートから約1,500ヤード(約1.4km)前進した地点で、第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊および第37猟兵連隊第II大隊の抵抗を受け、前進が困難となりました。

第2大隊F中隊は、88mm砲およびIV号戦車3両から直接射撃を受け、戦死2名、負傷10名、行方不明12名の損害を出しました。この時点で、第1大隊および第2大隊はすべての予備兵力を投入していました。

時刻不明
ライダー少将の搭乗するジープが移動中に襲撃を受けました。離脱後、少将は第100大隊と遭遇し、第100大隊長シングルス大佐に対して第100大隊の投入を命じました。

1200
予備であった第100歩兵大隊が追加投入され、ベルヴェデーレ北東から迂回して同地を包囲する任務を与えられました。

部隊の行進序列は、先頭がB中隊、続いてA中隊、指揮班、C中隊(予備)、81mm迫撃砲小隊の順であり、重機関銃小隊は先導する2個中隊に配属されました。

1205
第19空軍野戦師団長は、東から西へ3個突撃群による攻撃計画文書を鹵獲したと報告しました。これにより、第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊および第38空軍猟兵連隊第I大隊に対する攻撃が企図されていることを偵知しました。

これを受けて、SS装甲偵察大隊を2個フュージリアー中隊で交代させてサッセッタ東方に拘置し、軍団予備とするとともに、第38空軍猟兵連隊第I大隊に対しては、スヴェレート北東へ攻撃的に前進して陣地を占領し、敵の攻撃を撃退する準備を命じました。

1500
第19空軍野戦師団長は、第35SS装甲擲弾兵連隊第II大隊およびSS装甲偵察大隊の一部が、パルチザンの支援を受けて浸透してきた敵に包囲され、敵は大隊規模で北方へ前進中であると報告しました。

同時刻、スヴェレート北方の状況回復および間隙閉鎖のため、第38空軍猟兵連隊第I大隊による攻撃が予定されました。

1530
ベルヴェデーレが陥落しました。第100大隊は引き続き北上し、1835までにサッセッタ南方1マイルの位置に到達しました。

1630
A中隊およびB中隊は、プンタ・ミケリーノ(275969)において、オートバイ13台(付随するサイドカー付き)、水陸両用ジープ19台、トラック7台、戦車1両、野砲3門、対戦車砲2門、ハーフトラック2両、自走砲1両、さらに完全な指揮所1か所(人員を除く)を捕獲または破壊しました。また、敵30名を殺害し、15名を捕虜としました。

2000
さらに23名の捕虜を後送

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​26日の100大隊の行動オーバレイ

​26日付第75軍団行動命令

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電報発信:1944年6月26日緊急極秘!

宛先第19空軍野戦師団

第16SS装甲擲弾兵師団

軍団命令

I.42-18/36の線に対する敵攻撃は、42-16街道沿いの攻撃継続と相まって、一般に継続しているものと判断される。42-25においては夜間も敵の活動を予期せねばならない。42-37を越えた敵前進部隊の撃退後、敵は概して42-43を経て北東方向へ突破を試みるものと予想される。

 

II.第19空軍野戦師団は、42-18の線、646高地、42-36、42-43の北1kmにおいて、いかなる敵攻撃、戦車突破に対しても、断固として抵抗を継続せよ。これに関連して、以下を命ずる。

 

1.) SS第16装甲捜索大隊は、暗くなり次第、直ちに現配置から離脱し、42-25の南東地域に待機配置せよ

。2.) SS第35装甲擲弾兵連隊第II大隊は、その東翼を42-36の沢沿いまで延伸し、第38空軍猟兵連隊第I大隊との連絡を確保せよ。

3.) 第38空軍猟兵連隊第I大隊は、第162(トルキスタン)歩兵師団との間の間隙を閉塞し、42-43における連絡を確保せよ。42-37、43の道路は敵交通のため遮断せよ。

4.) 偵察前線全体にわたる強力な偵察活動により、敵の展開および攻撃意図を早期に認識できるようにせよ。偵察の重点は42-36/4。第16軽砲兵大隊に対して迅速な報告伝達を確保せよ。

5.) わずかな戦闘休止でも、常にこれを利用して、連絡を整え、予備を創出せよ。

III.第16SS装甲擲弾兵師団は、南方から到来する街道を封鎖し、SS第35装甲擲弾兵連隊第II大隊および第38空軍猟兵連隊第I大隊を増強し、チェチーナ方面の重点において軍団予備として即応投入できるよう、示された高地および集落の準備を行え。42-21および42-30に対戦車防御拠点を構築するため、SS第16戦車大隊および第16突撃砲大隊の一部を、上記地点に待機配置せよ。

第75軍団司令部Ia Nr.1191/44 g.Kdos.

【6月27日の戦闘経過】

0730
第38猟兵連隊第I大隊、もしくは第37猟兵連隊第II大隊が米第168歩兵連隊を攻撃し、ベルヴェデーレ東方へ迂回して第442歩兵連隊の包囲を企図しました。

1030
第34師団長は第100大隊に対し、サッセッタの攻略を命じました。

攻撃部署は、第100大隊と第442歩兵連隊第3大隊を並列に置き、予備として第442歩兵連隊第2大隊を配するものでした。さらに、第442歩兵連隊第3大隊の左翼には第133歩兵連隊、第100大隊の右翼には第168歩兵連隊が位置しました。

第100大隊は、A中隊をサッセッタへの道路上に、G中隊を右翼からの側面行動に、B中隊をA中隊の後続として投入し、町を攻撃しました。

1230
サッセッタ一帯に対して激しい砲迫射撃

1300
サッセッタに対する攻撃が開始

1430
米第168歩兵連隊に対する攻撃は頓挫し、第38猟兵連隊第I大隊は米第168歩兵連隊の逆襲を受けました。

2100
サッセッタが陥落

2120
第19空軍野戦師団長は、敵がサッセッタで突破し、カスタニェートに到達したと報告しました。

これに対し軍団は、突破した敵を撃滅するため、間隙を閉鎖するとともに、残存する突撃砲および第38連隊第8中隊、本部中隊を投入するよう命じました。

【その後の戦闘経過】

28日 1530 チェチナ川一帯の防衛線への後退命令

   2120 第100大隊 座標265066において東西に走る道路沿いに到達 同地において防御態勢

 

29日 ドイツ軍は全線において遅滞戦闘を実施しつつチェチナ川の線まで後退

​30日   0600 ドイツ軍後退完了​

極秘指揮事項
電報

発信:1944年6月28日
緊急

宛先
第19空軍野戦師団
第16SS装甲擲弾兵師団(伝令による)

件名:第19空軍野戦師団の前線を、42-11地区(接続点)から中央92-28および4まで引き継ぐこと。

1.) 第16SS装甲擲弾兵師団の左翼は、接続点を伴って前進すること。

2.) 第16SS装甲擲弾兵師団の右翼境界:
42-17、92-27(両地点とも第16SS側)、92-24(第19空軍野戦師団側);
92-19、92-22(両地点とも第16SS側)。

前線境界、第19空軍野戦師団側:
42-25(接続点)、さらに92-29の東4kmへ延び、93-31
(第19空軍野戦師団側)。

3.) 編成

a) 歩兵:
19空軍野戦師団戦闘団の第1大隊を編成せよ。編成は第19空軍野戦師団戦闘団司令官による。
この大隊は92-25およびその南方の予備として、夜間にかけて現地に準備配置すること。

b) 砲兵:
aa) 位置関係:
支援砲兵第93連隊第II大隊は、92-59付近の西5km。
新配備:第51砲兵連隊第IV大隊は92-29の西2km、
第19砲兵連隊第III大隊は92-29の南3km、
第19砲兵連隊第II大隊は92-27の西3km。

bb) 火力集中を、92-28地区の重点および森縁に向けて実施し、
第14装甲軍団に対してのみ火力支援を行うこと。
左ないし右隣接地区に対する支援は命令がある場合のみ行う。

c) 対戦車防御:
対戦車防御拠点は森林縁、92-20付近、および東翼に設置すること。

d) 工兵:
前野およびチェチーナ川の全橋梁を準備し、南からの接近をすべて封鎖すること。

4.) 第16SS装甲擲弾兵師団のさらに後方の隷下部隊、
第16対戦車大隊および第16突撃砲大隊の一部は、
新たな線で目標「11」に到達後、ただちに離脱し、
戦闘準備完了後92-27から第16装甲偵察大隊第I大隊へ編入される。

5.) 師団司令部指揮所は92-25(東方への突出を避けること)。

6.) 特別な出来事は直ちに、遅くとも2時間ごとに報告すること。

配布先どおり。

第14軍団司令部
Ia Nr. 572/44 g.Kdos.

第19空軍突撃師団のその後

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第19空軍野戦師団は、1944年8月15日に第20空軍野戦師団に編入されました。歩兵部隊の残存兵はデンマークへ移送され、第19擲弾兵師団の編成に充てられました。砲兵部隊は第719砲兵連隊の編成に用いられ、その他の残存兵は第20空軍野戦師団に編入されました。

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