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ドイツ軍 部隊設定

19. Luftwaffen-Sturm-Division

​第19空軍突撃師団

1.部隊概説
2.部隊経歴
3.部隊編成(第19空軍突撃師団)

1.部隊概説

本ページでは、空軍野戦師団及びドイツ軍側の設定部隊である第19空軍突撃師団について解説を行います。

空軍野戦師団 Luftwaffen-Feld-Divisionとは、1942年当時の逼迫する戦況の中 空軍の余剰人員をもって編成された部隊です。当初、陸軍は空軍及び海軍に余剰人員を陸軍に移管したうえでの人員の補充を提案しましたが、空軍総司令官であったヘルマンゲーリングはその提案を拒否し空軍独自の歩兵師団の創設を提案しました。最終的に43年9月20日の総統命令により空軍野戦師団は43年10月31日付で陸軍に移管されました。

 

空軍野戦師団の多くは、静的師団 つまり沿岸防衛や防御を主任務とする部隊として編成、運用をされ21個師団(編成途中を含めると22個)師団が編成されました。

​陸軍移管後も師団の多くの兵士は空軍出身者で構成されていました。
 

現代においては空軍野戦師団は弱兵と認識されていますが、その評判の多くは「陸軍」の将官から発出されており割り引いて考える必要があります。その存在そのものが陸軍と空軍の政治的対立から生み出されているので陸軍からの評判は低かったのです。

本イベントでは、一次資料やオリジナルのドキュメントから第19空軍突撃師団は実際にはどのような部隊であったかを調べ体験することで弱兵と認識されがちな彼ら「空軍の兵隊」がどうであったかに迫りたいと思います。

​下記に第19空軍突撃師団の部隊経歴を記します。

2.部隊経歴

第19空軍突撃師団の前身である19. Luftwaffen-Felddivision  第19空軍野戦師団は1943年3月1日に空軍野戦師団第3波動員としてLuftwaffen-Infanterie-Regiments "Luftgaukommando Moskau"

空軍歩兵連隊「空軍管区司令部 モスクワ」の一部を基幹部隊として編成されました。

第19空軍突撃師団は陸軍移管後にその名称を19. Feld-Division (L) 第19野戦師団に改名しました。同時に、同師団は陸軍のbodenständige Infanterie-Division 

(静的、主に沿岸警備や防御を主任務とする部隊)に改編が行われベルギー、オランダに駐屯しました。

 

44年初頭の駐屯地域
​陸軍移管に当たってのヒトラーの訓示
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空軍野戦師団の兵士たち !
東部の最も厳しい防衛戦の時、私はかつて諸君を空軍野戦大隊、そして最終的には空軍野戦師団として陸軍の枠の中で戦線を強化するように呼びかけたことがある。以来、東部の苦闘においても、他の戦線における責任ある監視においても、諸官らは陸軍の各部隊の鉄の鎖の輪として、その義務を果たしてきたのである。今日、私は諸官らを外部に引き渡して、あなた方が戦った仲間たちと密接な関係を持つようにする。諸官らを陸軍の仲間に迎え入れる。空軍野戦師団としての君たちの伝統は、これからも尊重され続けるだろう。
ロシアのボルシェビキ達は、過去2回の冬に成功しなかったことを、この冬に成し遂げたいと考えている。彼らは東部戦線を突き進み、軍を粉砕し、帝国を彼の力に服従させ、我々の民族を滅ぼそうとしている。この意図は阻止される!
空軍野戦師団の兵士たちよ、今こそ、我が国民とその自由のための最終的な勝利を達成するために、これまで以上に軍隊の隊列に力を貸して欲しい!

ゲーリングによる訓示
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空軍野戦師団 の戦友たちよ。43年9月20日の総統命令により空軍野戦師団は43年10月31日付で陸軍に移管されることになった。従って、諸官は私の直属の部下から離れる。激しい防衛戦において陸軍の重荷を軽減する必要から生まれた空軍野戦大隊は、ドイツ空軍野戦師団マインドルと一体となって、1942年の晩冬にはすでに比類ない名声をその旗に掲げていた。イルモン湖、デムヤンスク、チョルムの名前は、防衛と攻撃におけるあなた方の粘り強い、執念深い、成功した戦いを常に私たちに思い起こさせてくれる。
これらの成功により、総統は1942年秋にさらに空軍野戦師団を増員することにした。
42年9月17日、すべての階級の指導者に自発的な報告を求めた私は、我が空軍の作戦準備態勢に対する私の自信を十分に確認した。第十三航空軍団は、非常に短い準備期間にもかかわらず、非常に優れたパフォーマンスで20万人の軍隊を育成し、そのうち最初の師団は、陸軍を救援するために、1942年11月から12月の早い時期に東部の防衛戦線に統合することができたのである。
以来、諸官は東部戦線の大部分のみならず、ヨーロッパ要塞の北部、旺角、南部において、陸軍とWaffen-SSの各部隊と忠実な戦友として、その保護のために諸官に委託された部門を担ってきた。沼地も暑さも、旱魃も塵も、雪も氷も、諸官らの勇気と堅固さを損なうことはなかった、私はいつも最高の誇りをもって諸官らを同志として見ることができた。そのため、戦争の必要性からくる別離は、諸官らと同様に私にとっても難しいことなのだ。しかし、空軍の拡大により、緊急に必要な兵士の代替を供給することは不可能であり、将来的には陸軍による供給しかないのである。
一方、陸軍の戦友に我々の部隊を譲渡することは正当化できない。飛行戦闘活動に復帰できるのは一部だけである。しかし、あなた方の大部分は、新しい国防軍部隊の枠組みの中で、素晴らしい闘志と勇敢な行動力を維持・強化し、空軍野戦師団の名声を遠い未来まで輝かせ続けることであろう。別れがたいが、時の祈りは何よりも「全ては最後の勝利のために、総統万歳」である。

1943年12月1日時点での師団編成(静的師団)

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訓練に次ぐ訓練

陸軍移管後、第19師団は陸軍から訓練不足を指摘され西方総軍から指定された陸軍部隊を担任部隊として士官から1兵卒に至るまで徹底的に再訓練されました。その過程でいくつかの部隊は再編成され1944年の6月時点ではイタリアに展開していた他の陸軍部隊と同程度の装備と練度を保持する部隊となっていました。

​ベルギーにおいて訓練を行う第19空軍戦車猟兵大隊

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​機動師団への改編とイタリアへの移動

1944年5月初め、同師団はB軍集団に直接従属し、機動師団に改編されました。それに伴い1944年6月1日、19. Luftwaffen-Sturm-Division 第19ドイツ空軍突撃師団と改称され、イタリアに移動しました。この際に、ドイツ陸軍における熱帯地方向け装備=トローペンに転換を行っていたと思われます。

イタリアにおける第19空軍突撃師団と考えられる部隊

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イタリアにおける戦況の推移

随時更新

​1944年6月14日時点での編成表(機動師団)

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指揮官

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師団長 Albert Henze 大佐

略歴

1938年11月~1939年8月 

第63歩兵連隊第8中隊長

1939年8月~1940年7月  

第63歩兵連隊第2大隊長

1942年3月~1944年1月     

第11装甲師団第110歩兵連隊長
(途中で第110装甲敵弾兵連隊に改編)

1944年2月~1944年4月 

装甲擲弾兵師団

フェルトヘルンハレ師団長

​1944年6月15日~ 

第19空軍突撃師団長

 

第38猟兵連隊長 Blähser 大佐

略歴等不明

第1大隊長  Ehgartner 大尉

略歴等不明

 

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